考え方

問題 と指向性

メンタルの 問題 を解決する際に、 問題 をある程度絞り込めている方が変化を作りやすいです。

広範囲に良くしようと思っても、想いの方向性が分散するのでシャキッと晴れた感じはしないことが多いです。何か少し楽になったという感じでぼんやりとした効果に留まることが多いです。

それでも、何もしないよりは良いですし、繰り返すことで、楽になる範囲は広がる可能性があります。ですから、コンテンツフリーな祈りの場合、広範囲に効果は出ますが、その深さは浅く感じるようです。つまり、スキッとしない。

逆に、 問題 を絞り込んで集中することで深く届くようになるので、スキッとした感は強くなります。

とはいえ、範囲を限定しない方が、想定外の部分にも作用しているので結果としては良いのかもしれません。

効果をきちんと感じる、これはある種自己満ですが、クライアント自身が変化を感じることによってその気になれるのであれば、 問題 を絞りアプローチする方が良いでしょう。

人の無意識層はどうなっているかも分かりませんし、何がどう影響し合っているかも分かりません。ですから、広範囲を重ねることをお勧めしています。

何かになりたいとか具体的な目標を掲げているうちは、 問題 を絞って解決した方がしっくりいくと思います。

ある程度、解放が進んで全般で大丈夫になった人たちは、日々の祈りが徐々に効いてきますし、こだわりや執着がなくなっていきますので、それだけで幸せを感じるでしょう。

ただ、この2つの世界は隔たりがあります。
理性にこだわり、自分とは何か、成長したいと言っているうちはまだまだです。現実をそのまま受け入れ、涼風のように流せるようになっていくと、心配もなくなり、それでいいと思えます。

どこの境地を目指すかは人によります。
まだ、物欲を満たしたい人は、まず満たしましょう! これは大事なことです。
そして年齢を重ねて、そう言ったものがどうでも良くなるときが来ますが、そうしたらつつましく、精神性の世界に移行すれば良いでしょう。結果として、気持ちの平安を手に入れますから、まぁ、平和です。

どうなりたいか、それは人によって違います。かくあるべきを必ずしも守る必要はありません。どちらかというと、本能的なものが満たされた方が人は幸せだと思います。それは、理性的な人から見るとちょっとおかしい人に見えるかもしれません。

そういう風に他人がどう見るかすら、どうでも良くなりますから、心配や不安は出てこなくなります。社会的に 問題 の起こらない範囲に留まっていれば、毎日、平和に暮らせます。

世の中は人を不安にするのが大好きです。それに流される時期は誰でもあるし、あなた自身がそれを仕掛けることもあります。被害者意識や自己肯定感の低さは他人のひどさを見て安心したりします。他人に矛先が向くこと、自分に矛先が向くことは、攻撃という意味で同じです。

でも、そんなものは自分をきちんと分かってくると無意味に思えるでしょう。