そう、 陽転 志向です。思考ではありません。
考えたところで、ネガティブに行くのがオチですし、 陽転 させるには行動しかありません。考えるだけで楽しいとかうれしいって言うのは、ちょっと変態。それをアウトプットして分かち合って、みんなで良くなるのが 陽転 の一つの形です。
陰転の人は被害者意識や、自己価値や自己肯定感の低さから他人に対して批判的です。これは巡り巡って自分に返ってくるので、良くなることはありません。
他人攻撃が自分への攻撃に変化します。まるで戦争ですし、身近な人を批判される人は、別の誰かからも批判されて、仲間を作り対抗します。
箱の本そのままですね。
人は大事にされないと喜べません。寂しさは承認欲求に変わり、承認されないと被害者意識になっていきます。相手を変えて、なんとか承認してもらおうとしますが、この時点で相手を自分を承認する道具にしています。これでは、承認してもらえません。結果、また次へ行きます。寂しさで要求する人は無間地獄です。
でも、自分を楽しめる人だったら、楽しみを一人で握っていることが難しくなるので、それを表現し、周りの人に伝播し、周りごと楽しくしていくことができます。
スタートは、クレクレ星人になっているか、溢れた愛を相手に伝えていくのか、そういう違いです。
自分を楽しめる人は、頭の中に不安がありません。自分のことは悪いところがあっても好きだし、楽しいことを考えているから後ろ向きのことは考えていません。未来です。
未来のための今をどうするか? それを考え行動し、うまく行こうが、うまく行かなかろうが前に進んでいきます。
同時に周りの人と喜びを分かち合いたいし、一緒に楽しみたい。そうなっていきます。
陰転の人は、そういう楽しい時間帯でも、ふと、相手を攻撃、自分を攻撃、うまく行かないことを考え、無意識にうまくいかないを選択します。無意識レベルなので、ちょっと対応が難しくなります。
対応するには、自分の中にある因子を納めるか、因子が気にならなくなるくらい楽しいことをやっているか、どちらかです。
過去はもうかわりません。その結果、今があります。
だから、今をすぐに変えることもできないし、未来のために、努力をして、今を変えます。
そうした連続の後に、ネガティブを考えない、楽しいことしかないって流れになります。この方法でナガティブから抜けて楽しいことしかない人は増えています。
あと、ここは注意しておいて欲しいのですが、一度、楽しいことが増えたからと言って、それが永続することはありません。ふとした瞬間に、元に戻ったりします。
そのとき、客観的に考えて、それもあると言えれば戻りません。
感情的にこうしたい、ああしたいが強いと、どうしてものコントロールになり、コントロールできないと、被害者になるか加害者になるかを自然とやってしまいます。
毎日を 陽転 志向で生きるには、日々少しずつ気をつけて、崩れたら立て直すようにしていくしかありません。